動機・経歴・由緒など
若い頃は全くの気楽トンボで信心っ気もなかった私が約30年前、
父の死を期に独立を志したまでは良かったのですが、経営のイロハ
も知らないままに猪突猛進、まさに挫折の連続でした。
成功しなかったのが良かったのか悪かったのか、仕事に励む傍らで
学んだ推命・気学等から、仕事とは別に多くの人との接点が生まれ
る中で、次なる深刻な悩みが起きてきました。
それは、易学が如何に的確で、確かな方策を見いだしても、所詮は
人間が行うことですから、そう結論通りには実行できません。
歯がゆさや苛立ち、そして虚しさが遣り切きれなかったのです。
お陰で様々な修行に取り組み、遂に昭和59年6月、仏縁に恵まれ
現在のご本尊である「亀乃瀬弁才天」との出会いが生まれました。
しばらくは仕事と平行しての報恩行でしたが、平成元年、弁天様と
非常に縁の深い「己巳歳」に極ささやかではありますが聖地を得、
同年8月、当地にて完成致しました。
そして平成4年3月、高野山真言宗の寺院として認められ、待望の
「亀乃瀬弁才天 国分寺」が誕生しました。
お寺としては、まだまだ赤ん坊ですが、その寺名は由緒深く、古く
は奈良時代にさかのぼり、その使命感をとても重く感じています。
本当に小さな寺ですが、今から思えば、とても考えられないような
数々の奇瑞に恵まれ、それにも増して多くの方々の真心と、ご縁の
積み重ねで、今の国分寺があることを、しみじみ実感しています。
今の社会は荒廃に満ち、夢も希望もないと嘆く人もいるようですが
いたずらに嘆き哀しみ悩むことのないよう、非才な私の経験が少し
でも役に立てればとの想いだけで、よく方向も見えないままに、こ
のホームページを開きました。
色々失敗もあるでしょうが、暖かく見守り育てていただければ幸い
です。
寺 名 亀乃瀬弁才天 国分寺 (高野山真言宗)
寺名は古いのですが、開創後12年、待望の
お寺になって10年弱のごく小さなお寺です。
沿 革 広報誌「生命の泉」をごらん下さい。
所在地 大阪府柏原市国分東条町29−1
住 職 久米 慈峯
年 齢 若いつもりが、いつの間にか還暦を過ぎました。
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