「壽」とは
「めでたごと」とか「長命」などの意味と共に、「ことほぎ」つまり「祝いの言葉を述べる」といった「佳き言葉」の意味も含まれているようです。
でも、この「言葉」は、人を生かしもすれば殺しもすると言われるように、本当に心の込った言葉なら、それだけでも、人を長命や健康に導くことも不可能ではありません。
また言葉には、その意味に加えて響きが一体となっています。
弁才天は別名で「妙音天」とも呼ばれ、音や響きの持つ功力が長命に寄与する面も少なくないのです。

「命(みょう)」とは

当然のことながら「生の根本」ですが、この文字には「生命力」そのものとする意味もあるようです。
つまり「生きる、生かす、生き抜く」という、生命の「息吹」と、限りある命に「生の本質や根源」を、しっかり見つめる責任があるのではないでしょうか。
根本的な「自他の生命」そのものは、大自然の内に在って生々流転を続け、そのサイクルは不変ですが、人間として、そこに「なぜ、命は尊いのか」を問いかけ、生ある内に「限りある命」の意味を求めなければ、何のために生まれて来たのかさえ、分からなくなってしまいます。

[壽命」の示唆するところとは
「佳き命を、より良く生きる」に尽きると思います。
人はみな、誕生と共に善処を得、より良く生き抜く本来の素質を備え持っているはずです。
要はそれを「何時、どこで、どうして気付くか」ではないでしょうか。
弁天経には「令憶持能善開悟」とあり「能く善を憶え持ち開悟せしむ」を誓いとしておられる弁才天の、「意の真骨頂」のように思います。
壽 命